現代社会の過ちの一つは、スマートフォンを起動してたった数回の動作で事前の情報なく "簡単に" そして "誰でも" インターネットを覗けるようになったことだ。
インターネットを誰でも簡単に覗くことができるということを、知る権利の「自由」を保証しているという意味で「それは良いことだ」と人は言う。
...それは実際良いことだ。
知らないことを知ることは良いことだ。
それはつまり、知恵が無くても "単純な情報" があればインターネットを簡単に扱うことができるということだ。
しかしインターネットを扱うには "知恵" が必要だということを人々は忘れている。
そして知恵の無いままインターネットという名の "情報の海" で泳ぐということは、海で自ら遭難するのと同じだ。
その "知恵" は、インターネットで検索しても見つかることはない。
その "知恵" を理解するということは、インターネットの存在意義を問うということだ。