益にも害にもなり、扱い方を誤れば猛毒にもなり得るもの

人は恋愛という概念を人生で1度は見聞きし、そして何らかの形でそれを体験する。

ある時は偉人の言葉から、そしてある時は詩集から、またある時は他人との関わりからそれを知る。

そして人はその愛を手に入れるためにあらゆることを思い浮かべ、またその度にその場しのぎの理由を作ってはそれを手に入れようと試みる。

 

そして、インターネット上の関わりでもそれを得ようとする試みがなされている。

顔も性別も定かではない相手へ勝手に恋愛感情を抱く愚か者も居れば、同じ性別の者を異性とみなしその歪んだ恋愛感情を見境なく振り回す者も居る。

検索欄では相手を手に入れるために必死な者たちが、己の勝手な憶測をもとに作り上げた相手の性格や振る舞いをもとに相手の本質を血眼になって探している。

 

現実で相手と対話しその中で相手を知る」という単純なことを忘れた人間は、ネット上の相手に対して勝手に恋愛感情を抱いたり、そういった場所で相手の本質を探そうとすることに何の疑問も持っていない。

 

ネット上の相手を勝手に女性とラベル付けし歪な恋愛感情をネット上で振り回すのも、その状態のまま妄想で相手を愛せると考えるのも馬鹿げている。

 

自分と同じ同性の人間 (男) がそういった愚行を重ねたり、ネット上で調べた情報をもとに勝手に妄想し始める人間を見るたびに、他人と関係を築く時に本当に必要なのものは何かということを思い出す。

 

"もし愚か者が富や女性の愛を手に入れたなら、誇りはその人の中に芽生えるが、知恵は決して芽生えず、愚かなまま進んでゆく。" - Hávamál

 

そういった人間と自分を隔てる壁は、たとえどのような類いの壁であれ、硬く分厚いものであることだけは確かだ。