黙っていることが正しいこととは限らない。
必ずしも正義が「善行」に繋がるとは限らない。
必ずしも悪が「悪行」に繋がるとは限らない。
必ずしも「手を出さないこと」が正しいこととは限らない。
正義の扱い方を間違えれば、それは悪にもなり得る。
極端な善悪判断は歪な人格を生み、極端な正義や悪もまた歪な人格を生む。
善悪どちらが欠けても「正義」にはなり得ない。
天秤のように、どちらも釣り合った状態で保つ必要がある。
正義は曖昧なまま行使するものでも、行使されるものでもない。
時代背景、情勢、置かれた環境などによって正義の意味は違ってくる。
何を正義とし、どのような行いを以てして正義とするのかも人によって違う。
正義の意味が人によって変わるのは、その人自身の見ている世界が関係している。
人は自身の視界の外を知ることはできても、同じように体験することはない。
...また、善悪に客観性などない。
国、立場、状況、場所、倫理的判断、人種、社会情勢などによって善悪の意味は容易に変わる。
それは人の歴史を見ても明らかだろう。
ある状況が全体的には間違っていても、細かく見れば結果は違ってくる。
そして、その逆もまた同じだ。
状況が違えば、手段もまた異なる。
人における客観とは「広い主観」のことを指す。
だからこそ、善悪に客観性などない。
...客観性を決めるのもまた人間だ。
ある事柄について、不特定多数の人間が出した結論が同じであれば「客観的」になるというのならそれもまた違う。
正義には健全な倫理観が必要になる。
健全な倫理観には、"釣り合った状態の天秤" が必要になる。
そして、その天秤の重りを同じように満たすだけの善悪が必要になる。