ギフテッドという言葉を初めて認知するまでの経緯
ギフテッドという言葉を最初に知ったのはクローズアップ現代の放送を観ていた時だった。
当時、自分は就活をしていた。
ただ、最初からそうしたかった訳ではない。
最初は専門学校へ行くつもりだった(編入学当初からそうしたかった)。
そのために3年という期間を選び、授業には全て出た。
単位を計画的に取って、後半の期間は自分が自由に出来る時間を作れるように計画していた。
高校2年の終わりに進路の相談を親と教師と自分の3人で話す機会があった。
進学は無理だと言われた(金の問題)。
そのせいかあまりにも不条理な理由でいきなり道を切られた感触と強烈な焦りと怒りをこの時感じたのを覚えている。
それを伝えられた事で同時に自分の進む道を見失いそうな感覚が強くなり、見失わないように(そして誰にも気付かれないように)することで精一杯だった。
それでも楽観的になろうと肯定的に考え続けた。
卒業して、就活は上手くいくだろうと思っていた(一番強く思っていたのは親とその周りだったのだろうけど)。
案の定、内定は貰えなかった(目に見えていた)。
「自分には欠点があるのではないか」と思うようになり、自分の性格や行動を調べるようになった(自分に自信が持てなくなっていた)。
そしてある時、テレビでギフテッドという言葉を知り興味が湧いたのでGoogleを使って調べた先のWikipediaで言葉そのものを知るきっかけになった。
そして、Wikipediaを読んでいる時にある文章が目に留まった。
「この生理的な違いは、ギフテッドの子供が学校を卒業しようと、大人に成長しようと消えない。」
大人になっても消える事がない...?
そこから、自分が知っている限りで特徴を思い出してWikipediaで書かれているギフテッドの特徴と比較してみた。
実際どこか似ている所があったからだ。
すると殆ど当てはまった。
ただただ衝撃的だった。
ギフテッドアダルトという言葉を知るまでの経緯と検証
Wikipediaを読んで、大人になっても消える事が無い事を知り、殆ど当てはまったのは良いが「じゃあ自分はギフテッドなのか?本当にそうだろうか...?」という疑問が浮かんだ。
その日はあまり確証をはっきり得られなかったため頭の中で靄がかかったような状態で寝てしまった。
その時はまだ「自分は違うだろう」と思っていたが、不思議と頭から離れる事が無かった。
次第にそれは「知りたい」という率直な欲求によって深く知る事になった。
「ギフテッドの性質が大人になっても消えないのであれば、そこで現れる特徴があるはず。」
ふとそう思い、検索してみる事にした。
そして最終的にこのリンク先に行き着いた。https://mathgifted.exblog.jp/21157347/
そこに書かれていることはまるで自分の取る行動を詳細に記したリストのように書かれていた。
・高い道徳のスタンダード
・興味関心分野に対する情熱的な献身
・独立心が強く、従者にはなり難い
・内部、外部の刺激に対してとても敏感である
・何かに携わっていないと鬱や退屈な状態に陥ってしまう
・内面的な対話や思考、想像などが磨かれている
・物事の根本を見ることが出来る
・物事が実際に起こる前に結果を見ることが出来る
・マーベリック
・他の人達が興味を示すほとんどのものにあまり興味がない
などなど枚挙にいとまがない。
そしてまた疑問が浮かんだ。
「ここまで目に見えるくらい特徴が合っているのであれば、それ以前にも目に見える行動として現れているのではないか」と。
さらにここから深く知るために今に至るまでの全ての行動や出来事、苦手な事や強烈な記憶を頭の中で思い出してみることにした。
前提
・いじめ経験者(小学1年から中学2年まで)
ここから箇条書きで思い出せる限り書いていく。
小学校時代
・学校の授業は受けることが出来るのに宿題をしなかった(1年の頃から)。
・宿題をしないことで親にも教師にも怒られたが当時の自分は宿題をしなくても授業の内容が理解出来たこと、宿題をせずに授業だけを受けて学校を卒業したらどうなるのかという疑問から実際にやってみないと分からない→それが分かるまで宿題をやらないという考えを持っていた。
・表情をある程度読むことが出来た。
・字が汚かった(ディスレクシア)。
・習字の時間では皆が綺麗に書けているのに自分だけ上手く書けなかった。
・ほんの些細な一言(例えば「字が汚い」など)で傷付く事が多かった。
・平和学習が好きだった(死とは何かを知るきっかけになった)。
・読めない漢字(難読漢字含む)の読みを覚える事が出来た(書くことは出来なかった)。
・小学5年の作文で「習っていない文法を使っている」事で当時自分に対して体罰をしていた教師に言われ、嬉しいのに怒りと悲しみの感情が同時に襲ってきたこと。
・同じ時期の小学5年の時に万引きをした事(後にいじめによる精神的な疲労が積み重なった事でそういう行動を取ってしまった事を知る)をきっかけに「万引きはダメな事なのにしてしまった自分は人として駄目な人間だ」、「親に迷惑を掛けてしまったからもう無理だ」と自分を極限まで追い詰め、つい最近までそれが続いた。
中学校時代
・中学でもいじめを受けていた自分は、中指を立てることの意味を知らずとも「嫌がらせ」とはっきり認知出来た(人には説明しづらかった)。
・「宿題をしないと学校の成績が良くならない」、「宿題をするのは常識」、「宿題をしないとテストの点数が上がらない」等々言われるが納得出来なかったので受け入れなかった。
・自分で自分の事を頭が良いと言っている人の殆どが自分から見れば言動がずれているような感じがした。
・寄せ書きに書かれていた内容も裏が読めてしまい怒りから寄せ書きをゴミ箱に捨てる。
・中学2年の後期に「宿題をしないことが異端だと決めつけられるのであれば自分で証明してみよう」と思い3年の時に英単語テストを学校で設けられる時間のみを使って満点を取る。
・「頭が良いんだね」と言われるも嫌味に聞こえてしまうことが苦痛。
・卒業した後の寄せ書きに書かれていたことも後から気付いた癖に「努力するようになってえらい」などと言われて腹が立って同じようにゴミ箱へ捨てる。
高校(編入学前)
・入学前のパンフレットで書かれていたことと入学後に聞かされたことに矛盾している点がある事に気付く。
・クラスの会話についていけない(世間話やどうでもいい会話ばかりで退屈だった)。
・レポート用紙を提出した後、そのレポート用紙を教師が捨てる事に違和感を覚える。
・学校を辞める際、担任に「お前はやれば出来る」と必死に引き留められるも結果が見えていたのでそのままその学校を辞める。
高校(編入学後)
・1年の成績で全ての科目に「5」が付く。
・宿題も出されなかったので「やっぱり正しかったじゃないか」と思い、結論に至る。
・クラスのグループに馴染むことすら無理だった自分がいつの間にかクラスに溶け込んでいる事が不思議で堪らなかった。
・ここでも「頭が良いんだね」と言われるも意図が分からなかった。
・編入学した際に進学すると決めていて、最初は親も認めていたはずなのに卒業間際で変更を余儀なくされ理不尽に感じた。
ここまでが自分が思い出せる限りで思い出した事である。
ここで否定する要素が全て無くなった事に気付き、そして今まで自分が何故そうしたのかが分からなかった事に対して概ね納得することが出来た。
その後も色々調べた結果、その「納得」は「確信」へと変わった。
今まで欠点として悲観していた行動やクラスの中でどこか孤立している感じに対して「自分は出来ない人間」だと思っていてそれを信じて疑わなかったことが、本質は「ギフテッド(ギフテッドアダルト)」という生まれ持った性質が強く関係していた事に気付き頭の中にあった悩みが少しずつ消えていくことがとても嬉しかった。
同時に何故自分が倫理観に厳しく、善悪の認知に対して敏感であるのかを知ることが出来た。
同時に日本の教育における「平等」や「努力すれば一定のレベルに到達出来る」というふざけた考えが嘘であることを同時に知ることが出来た。
これから恐らく一生をかけてこの性質と向き合う事になる。
認定を受けるかどうかはまだ分からない。
今は自分がそういう性質を持っている人ということを知れたことだけでも良いことだと思っている。
これは自分の個人的な考えの域を出ないが、「人は皆平等に生きる権利があり、教育を受ける権利があるのなら個性や才能、性質に対しても"平坦にするのではなく違いを受け入れる"という意味で平等であるべきで学校という場所がその人の生まれ持った個性や才能、性質(あるいは負の側面)を縛るまたは否定する場所であるべきではない」と考える。
以上