私がいじめを受けた理由とその告白

この話をここに残す理由

Twitterで一度話したことがあるが、Twitterでもうそのようなことを2度と書きたくはない(残したくもない)と思ったため。
そして、自分のいじめに対して向き合い、ある程度見切りをつけるため。

読む前に

これから話す内容は実際に体験したいじめのことを、なるべく感情を出さずに冷静に思い出したうえで書いています。
もしかしたら、生々しい内容に打ちのめされるかもしれません。
そのことを承知の上でこの記事を読んでいただければと思います。

私はなぜいじめられるようになったのか

原因は恐らく、宿題をやってこなかったから。
「皆やっているのだから、自分だけやらないのは卑怯」と思われていたのかもしれない。
宿題をやらなかったのは、やりたい人がやればいいものだと思っていたから。
ちゃんと授業は受けているし、ノートも書いていた(実際、それで理解できていた)。
最初は教師から怒鳴られ、嫌々やらされていた。
当然、クラスの中で怒鳴られるのでクラスの中でも言われる。
それでも、「必要ない」と思った私は宿題をやらなかった。
人に優しく接することの大切さはこの時既に知っていた。
同じクラスの生徒の中に心臓の弱い子が居たので、その子の手助けをしながら、私は常にその子の傍に居た。
この時はまだ小学1年だった。

2年になってもその考えが変わることはなかった。
この時から、教師による体罰が自分に対して行われた。
ある時、いつものように宿題をやらなかった私はその教師によって教室から外された(机ごと廊下に出され、帰るなと言われた)。
この時から、同時にいじめられるようになった(正確にはクラス間を超えたいじめが始まっていた)。
無視から始まり、触ってはいけない物扱い、集団で同じようなことを繰り返し、字が汚いと馬鹿にされ、教師が自分を怒鳴っていると当たり前のような目で見られている気がした。
字が汚かったのは左利きだったため。
自分でもきれいに書こうと練習したがきれいに書くことはできなかった。
クラスの中の数人に右利きにしろと言われ、「無理」と答えたが聞く耳を持たず、右利きの矯正をクラス内の人間に「強制」される。
当然できるはずもなく、出来ない度に手の甲に鉛筆を刺され、跡が残るようになった。
この時から人を信用しなくなり、人に対して嘘ばかりつくようになった。

3年になっても、宿題はやらなかった。
そしてこの時の教師もまた、私に対して体罰をしてくるようになった。
誰も居ない教室に連れて行かれ、耳をつねられ、頭を拳でぐりぐりと押される。
痛みは消えることは無かった。
いじめもなくなる気配すら無かった(以前同じクラスに居た人が状況を悪化させていた)。
3年の終わりになって、それまで理解できていたはずのこと(授業の内容含め)が頭に入らなくなった。
(後で一種の精神的疲労が原因ではないかと思ったが、正直よくわからない)

4年、宿題はやらない(もうそれどころではなかった)、いじめはさらにエスカレートし、またしても教師による体罰が行われた。
でもこの時の体罰は今までよりとても酷いものだったことだけは覚えている。
自分以外の生徒を他の教室に移動させ、自分はそこで一人「反省文」なるものを書かされた。
時々様子を見ては「チッ」と舌打ちされたのを覚えている。
この時、自分以外に宿題をやらなかった子が居た(名前はもう思い出せない)がその子は移動させられなかった。

5年、まだいじめは続く。
教師は変わったが、また体罰が行われた。
頭をグリグリ押され、痛みは以前より酷くなった。
それ以外にも机を蹴られる、嫌々宿題をやってきても体罰に関して自分に謝ることはなかった。
不眠症になり、遅刻の頻度が上がる(それ以前から遅刻していたが悪化)
実は、私は小学校の時から親に自分の欲しい物を買ってもらえなかった(宿題をやらなかったから)。
そして精神的、肉体的にボロボロになった自分は万引きという犯罪行為に手を染めて学校に呼び出された。
やってはいけない事は理解していたのに...
この時来た教師は二人とも私に体罰を行った教師だった。
頭の中が真っ白になり、考えることすらできなかった。
これが、記事を書いている日から数えて約8年前のこと。
あれから9年が経とうとしているが、今でもずっと後悔し続けている。
立ち止まり考えることもできたはずなのに...

6年、いじめもまだ続いていた。
そして同じ教師のクラスに移される。
もう、何も考えることが出来ずにいた。
この部分だけ記憶がない。

地獄のような6年間だった。
卒業アルバムはその後捨てた。

中学1年、もういじめは無いだろうと思っていた。
でもそうはならなかった。
何故なら、同じ学校を卒業した人が何人も居たから。
当然、そこで言いふらされ、しつこく粘着されるようになる。
消しかすを頭に投げつけられ、中指を立てる生徒まで出るようになった。
言い返すも胸倉をつかまれ、教師に相談するも相手にされなかった。
そして、とうとう学校に行かなくなりました。
親にはいじめのことなど言えず、親がいない間少しずつ勉強をしていました。
親からは「学校へ行け」と言われても、行きたくはなかった。
ある時部屋の中で泣き崩れ、その時親に理由を聞かれたが言えなかった。

1年の終わり、ある時学校に呼ばれ親と行くことになった。
その当時、一番好きだった科目の担任と会うように言われたため会いに行った。
「この教科だけでいいから来て欲しい」と言われた。
その日から徐々に学校に通い始め、こう思うようになった。

「このいじめから立ち直るには自分自身を変える必要がある」

1年最後の日、クラス全体で色紙を書くことになった。
渡された色紙の内容のほとんどは「ありがとう」という文字しかなかった。
いじめをした本人は「いろいろあったけど~」と書いていた。

吐き気がするほど嫌悪感を覚えた。

----------11/2(22:22)に更新-----------------------

この色紙の内容の中には「◯◯は人に言うべき事を言えて凄い」、「◯◯は努力するようになってえらい」みたいな感じの事を書いている人が居たが、そもそも自分はこの時に努力をしたと思ってはいないし、今まで人に言うべき事を言えなかったわけじゃない。


いじめをしている人に言うべき事を言えなかった訳では無い。

「いじめられている状況下で言える」という精神そのものがおかしい事に書いた人間が気付けていないだけ。


努力にしても同じだ、自分は努力をしてなんていない、書いた人間が努力をしていると錯覚しているだけ。

「錯覚」と一言で言ってもわからないかもしれないが、書いた人間がいじめを受けていた自分の努力の度合いを宿題をしないだけで勝手に解釈し、その上で目盛りの合わないものさしで測り、はみ出しているのに気付けていないだけ。

第一、他人に自分の努力の度合いを測られても迷惑でしかない。

----------11/2(22:22)に更新-----------------------
その後、その色紙は捨てている。

2年、なんと一番好きな科目の担任がクラスの担任だった。
担任からは「お前をここ(このクラス)に入れるようにしてもらったんだ」と言われた。
この時も実は水面下でいじめが行われていた。
学校にスタンガンを持ってきて、チラつかせる人も居た。

2年の途中、いじめの件が思わぬ形で発覚する。
それは席替えの時、見ず知らずの生徒が自分と隣になった際、その生徒がくっつけていたはずの机を離したことが事の発端だった。
担任は普段自分には見せないほど顔の表情が変わり、その人以外クラスから出るように言われた。
教室からはものすごい怒鳴り声が聞こえ、何人か呼び出されていた。
その時、初めて「こいつらか」と思った。
この時、同じクラスの生徒に「なんで言ってくれなかったのか」と言われたが聞き流した。
見て見ぬふりをされた人にそんなことを言われても何も響かないからだ。

いじめが徐々に収束したのはそれからだった。
宿題も出されたが、ちゃんとすることができた。
当然、授業にも出た。

3年、もういじめにも体罰にも悩まされることが無くなった。
この時にはブレない軸を持って学校生活を送るようにはなった(塾にも通い、学力を取り戻した)。
英単語のテストでは満点を取ることもできた。

最初の高校は1年で辞め(提出したレポートを勝手に捨てられるくらいなら辞めた方がまだいい)、転入学を経験し、その後の3年間を私立の高校で送ることになりました。
転入学先の学校では序盤から高成績となり、初めて見る5の数字にびっくりした。
親からは「この成績どうしたの」と驚かれた。
幸い、共通の友人も出来た。
友人とは2年だけ同じ時間を過ごし、残りの1年は自分一人で過ごした。
進学は考えなかった。

実は高校に通っていた時、いじめの加害者に遭遇したことがあったが、反省すらしていなかった。
その時、「俺たち友達だよな?」と言われたけど「冗談じゃない」と思った。

そして今に至る。
今は、C#プログラマの端くれで、ゲームのMODを作ったりしながら、就活している。
親からは自分のペースで就活しても構わないと言われている。
世界情勢にも興味を持つようになった。
MODを作る中で、海外の方と交流する機会も増えた。
価値観の違いを尊重することもできている。

常に人に優しく接することは、小学校の頃から続けて今も同じようにしている。
自分が選んだ道だから後悔はしない。
でも時々、自分がこんなに幸せに生きていいのかと思うことさえある。
「犯罪を犯した人間が生きていていいのか」と。

いじめから学んだことは多い。
人は弱い生き物で、集団の中に隠れながら自分の常識を押し付けたがる。
そして、そういう人に「これをやらないと将来~」だとか「宿題しないからそうなるんだ、だって事実だから」と言われたこともある。
確かに私は宿題をしなかった。
そのせいで確かに学力は落ちたかもしれない。
だが、本来そこに他者が介入する必要は無いはずだ。
実際、自分はこうして高校を卒業できているのだから。

人を安易に信用しないということも学んだ。
人間関係に関しても注意を払うようになった。

そして、いじめを絶対に許さない、させないことも。

宿題は勉強という手段の一つでしかない。
また、宿題は必ずしなければならない物でもない(それが「強制」であること自体が間違いなのかもしれないが)。

ほとんどの人は、人から言われたことや聞かれた事を疑いもせず鵜呑みにしてそれを常識とする。
そしていつしかそれが「絶対」として扱われ、従わない人を孤立させる。

いじめに対する最大の報復は仕返しすることではなく、自分自身が幸せになること。

リスクを冒してまで仕返しするよりはいい。

これを見てくれている人の中にTwitterをフォローしてくれている人も居ると思うので最初に言っておきます。
このいじめに対してどう捉え、解釈するかはあなた次第、もしそれで嫌いになったのならブロックしてもらって構いません。

 

そして、これは今いじめで悩む人へ

まずは逃げること、そして自分がこれだと思うものを見つけて、やってみること。
いじめを忘れることは難しい、だからこそ何か一つのことに集中できる趣味を見つける必要がある。
ゲームでも、本を読むことでも構わない。
相手が「逃げる行為」に対してどんなに煽ってきても、気にせずまず逃げることだけを考えてください。
精神的に追い込まれても、絶対自分の中に溜め込まないこと。
どんなに自分ではわかっていても、気づけば私のように過ちを犯すかもしれない。
そうなってからでは遅すぎる。

この記事を読んでいる方で親の立場として読んでいる方へ
常に子供のそばに居てあげることを忘れないでください。
もし、子どもが「学校に行きたくない」と言っているのなら、まず怒るのではなく冷静に子どもの話を聞いてください。
聞いたうえでどうするかを判断してください。

義務教育とは、子供の義務ではない、子どもを持つ親の義務なのだから「子どもが学校に行きたい」というなら行かせてあげればいい。
逆に「学校に行きたくない」と言っているのなら、行かせなくていい。

「学校に来ないと単位が~」と学校から電話があったりするかもしれないが、実際それは「学校側の都合」であることが多い。
それを鵜呑みにするのではなく、義務教育の意味を思い出し、正しい判断をするようにしてください。

この記事を読んでいる方で教師の立場として読んでいる方へ

いじめは見えない方法で行われる場合が多く、一見すると判らない。
でもよく見て欲しい、周りではなく生徒のしぐさ、行動、表情、机を意図的に離すなどの行動を。
そしていじめだと確信した際、「加害者と仲良く解決する」ことを考えるのではなく「被害者がもう一度、少しずつでも学校に来てくれるにはどうすればいいのか」を親と生徒を交え考えてください。
その時代だからこそできることがあるはずだ。
例えば、教室の中にビデオ通話が可能な環境を整えてスマホの画面を通して授業を受けることができれば自宅で学校の授業を受けるということも可能なはず。
そして、どんな理由があろうと体罰はしてはいけない(教員同士のいじめも)。
私はもう学生ではありませんが、学校に来る生徒が辛い思いをしない学校になることを願っています。

そしてこれは、いじめを今現在している、あるいはいじめの光景を傍観者として見ている人たちへ

いじめをした結果、被害者に一生許されない覚悟はあるか。
いじめをされた側は一生覚えている。
「自分は関係ない」、「関わったら自分もいじめられる」そう考えていじめの光景を観ている人たちはそれでは済まない事を理解するべきだ。
もし、傍観した結果、その生徒が自ら命を絶ったらあなたは責任をとれるか。

最後に

稚拙な文章だったかもしれませんが、この記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事を書いている際、当時のことを冷静に思い出すのに時間がかかりましたが、思い出せる限りのことをこの記事に書き、今まで考えていたことも同時に書き留めておくことができました。

この記事を読んでどう解釈するかはその人の判断に任せます。